1968年のメキシコシティ大会を最後に長くオリンピックから遠ざかっていたホッケー男子日本代表が「開催国枠」として、東京2020オリンピック競技大会の出場を認められたのが、昨年5月のこと。その直後、日本代表のエースストライカー田中健太選手は公務員を退職し、単身オランダ1部リーグへの移籍を決意した。それから1年。現在31歳のベテランは、オランダでのプレーで何を得て、後輩や次世代の選手へと何を伝えていくのか。その想いを聞いた。

立命館大学時代の“自分で考える”という習慣は、今の自分にすごく生きている

当初こそ「開催国枠」での出場だったが、日本代表はその後、オリンピックの大陸予選を兼ねたアジア大会でマレーシアを破り、優勝。自力でオリンピックへの切符を掴み取った。
52年ぶりとなるオリンピック出場。子どもの頃からの夢であり、海外移籍を決意した田中選手にとって、この大会への思いはさぞや大きいものだろう――。そう尋ねると「1年前なのに、なんかまだ実感が湧かないんですよね。気持ちの面でオリンピックに行くぞ!という強い想いは今の僕にはないかもしれない」とはにかみながら、意外な答えを口にした。

「実は…まだオリンピックのことはピンと来てなくて」とはにかむ田中健太選手。

「もちろん東京で活躍したい、メダルを取りたいという思いはあります。ただ、まだ選ばれたわけでもない段階で、大会に向けて気持ちをフォーカスするのは難しいことだと感じています」

東京2020大会の正式競技であり、欧米では高い人気を誇るホッケーだが、日本ではまだまだマイナーな存在だ。
ホッケーは91.4m×55mのフィールドで、直径7.5cmの硬いボールをスティックで操りながら、相手ゴールを狙う。プレイヤーはキーパーを含めて11人。15分4クオーター、計60分の試合中は、サッカーとは違い、同じ選手でも自由に選手交代を行うことができる。スピード感とコンタクトスポーツならではの迫力。野球かサッカーをやるつもりだったという田中少年は、友人に誘われて1度プレーしたことで、その魅力にハマった。

「それまでスポーツって、やれば何かしらできるという感覚があったんですよ。それがホッケーはスティックの感覚もつかめないし、動かし方も難しくて、全然できなくて。それが逆に楽しかったんです。僕が住んでいたところはホッケーが盛んな地域で、人工芝のグラウンドがあるなど、環境的に恵まれていたのも大きかったですね」

高校はホッケーの強豪である天理高校に進学。在学中にユース日本代表に選出されたことをきっかけに、田中選手は日本代表、そしてオリンピック出場という目標を掲げ、立命館大学へと進学した。

「立命館大学は選手が自主的に考えて練習するという方針なんです。試合の戦術などは監督から指示がありますが、練習では自分たちで何が足りないかを考えてメニューを組み立てるなど、選手が主体となって考えていました。この“自分で考える”という習慣は、今の自分にすごく生きていると思っています」

海外でのプレー経験があるからこそできる、学生たちへのアドバイス

いばらき選抜チームのウォーミングアップ風景。チームのムードメーカーとして若い選手とも積極的にコミュニケーションを取っているのが印象的だった。

現在、田中選手はプロとしてプレーする一方、コーチとして立命館大学の選手たちへの指導も行なっている。選手としてはベテランだが、指導者としてはまだスタートを切ったばかりということもあり、教える難しさを体感している。

「僕自身の立命館での経験をふまえて、後輩である教え子たちには自分で考えて行動に移せるような選手になって欲しいと思っているんです。僕が言ったことだけではなくて、それをいかに自分で工夫できるか。そのため、練習の大枠は渡しますが、細かい部分はなるべく学生たちが考えるようによく言っています。ただ、できる限りチームに顔を出すようにしていることもあり、選手たちが自分で考える機会や時間を減らしているのではないかというジレンマも感じているんです」

一方で、オランダでプレーをしている田中選手だからこそできる指導もある。

「立命館大学は日本代表にOBを何人も輩出しているため、生徒たちにとって代表は意外と近い存在なんです。だから、“日本代表ではこういう練習をしているよ”と言うよりは、“海外の選手はこうやっている”とアドバイスをしたほうが、さらに高いレベルを意識できるのではないかと思っています。代表を目指すからには、海外勢と互角に戦える選手にならないといけませんから。そのためには何が必要なのか、その知識を伝えたいですね」

オランダ武者修行を経て感じた、日本代表のポテンシャル

試合前のウォーミングアップでは、スティックを使ったリフティングを見せてくれた。このスティックでボールを自在に操れるようになるまでが大変であり、楽しいのだという。

では、オランダと日本との違いとはどんなところにあるのだろうか。

「まずは環境が違います。道を歩いていてスティックを担いでいる人をよく見かけるぐらい、オランダはホッケー大国。日本では考えられませんが、5面グラウンドを持っているクラブが数キロ圏内にいくつもあるんです」

なかでも一番驚いたのが、練習メニューの多彩さだ。オランダでは日々の練習で、同じメニューが行われることはほぼないという。

「週末に行われた試合の反省点や課題をふまえ、翌週はその対策に特化した練習を集中的にやって、次の試合に向けて調整していくんです。日本では反復練習がトレーニングの基本になりますが、オランダではいつも違うことをやる。レパートリーがとても多いし、それを経験することによってプレーへの想像力が広がっていると感じています。ただ、オランダは幼少期からホッケーに触れていて、ベーシックスキルがしっかりしていますが、日本では基礎技術が足りていない選手も多いので、基礎をしっかりと積んでからそういう練習をしたほうがいいでしょうね」

もうひとつの違いは、競技への向き合い方や意識だ。仕事とホッケーを両立せざるを得ない日本人選手と、プロ選手とでは時間的制約に大きな差があるのは当然だが、それでもさらなる高みを目指して欲しいと田中選手は語る。

「昔に比べたら日本代表の意識はすごく高くなったと思います。ただ、それでもまだ足りていないと感じています。僕が所属するオランダのHGCというクラブチームには、オランダの代表選手がたくさんいます。彼らは体格がよくて、足が速くて、筋力も、技術もある。そんな選手たちがものすごい努力をしているんです。それに追いつこうと思ったら同じぐらいの努力をしても、絶対に追いつけない。僕らは外国人選手以上の努力を積み重ねなければ、彼らを越えられないんです。日本代表ももちろん必死にやっていると思うんですけど、そのさらに1段階上のものを僕は求めたいし、自分が率先して行うことで、みんなを引っ張っていきたいという思いがあります」

一方で、オランダで1年プレーをして、日本の選手は海外でも十分通用するという手応えも感じている。

「日本人はスピードやテクニックのレベルはすごく高いし、実際に試合をしても“日本人だから通用しない”と感じたことはありません。あとは経験を積んで、状況判断をいかにできるかだけで、世界と互角に戦えると思っています」

オランダに行ったことで、他の選手から海外での練習方法や、海外でプレーをするための相談を受けることも増えたという。

「海外に行きたいという気持ちを持っている選手は結構いると思います。でも機会がなかったり、なかなか一歩を踏み出せなかったりしているんですよね。僕自身もそうでしたから」

大学卒業を前に田中選手は、ドイツのクラブチームからオファーをもらっていた。だが、海外生活への不安などから、公務員として勤務をする傍らプレーをすることを選んだ。あのとき、ドイツに行っていたら…今でもそう考えることがあるという。

「やっぱり怖かったんですよね。ドイツに行って、失敗して帰ってきたら就職先はあるのか、とかすごく考えてしまって。英語も喋れないし、生活面の心配もすごくありました。だけど、行ってみたら意外となんとかなるんです。公務員時代はホッケーをしていてもどこか仕事のことを考えたりしていたけれど、今はホッケーのことしか考えなくて良いという環境で、ドイツに誘われた時行っていたら、もう少し早く海外でプレーしていたら、また違っていたんじゃないかと思うことがあるんです。だから心配な気持ちもわかりますが、若い選手にはぜひ海外に行って欲しい。特に今はホッケーに限らず、海外でプレーするアスリートも多いので、いろいろとサポートし合える。僕もヨーロッパのサッカーチームでプレーする日本人選手たちとご飯を食べに行ったりしています」

多くの人にホッケーの魅力を知ってもらうために。

2019年8月4日に行われた、オーストラリア代表といばらき選抜によるテストマッチでの一コマ。ホッケーでは、選手が転倒した際、芝の摩擦でやけどするのを防ぐために人工芝に水を撒いている。水を撒くことで、ダイナミックなプレーが可能になったという。

外国人選手以上の練習に励む田中選手にとって、怪我のリスクを減らし、パフォーマンスを高めてくれるギアも重要だ。

「特にスパイクは重視しています。ホッケーはダッシュしたかと思えば、急にストップするなど、切り替えが多いので、足の裏にとても負担がかかるんです。軽くてクッション性の高いアシックスのシューズに変えてからは足がラクになりました。しかもグリップが効いているので、しっかりと止まることができるというのもポイントが高いですね」

現在、立命館大学とアシックスは、スポーツを通じた地域社会、教育研究、国際社会の発展を目的とし、スポーツの大衆化や研究・開発、スポーツを通じて未来を支える人材育成に向けて、連携・協力を行う包括的連携交流協定を締結している。
そして田中選手もまた、ホッケー界の未来のために、大学やアシックスと連携した取り組みを行えないかと、さまざまなヴィジョンを思い描いている。

「ホッケーの強豪校のラインアップは長い間ほとんど変わっていない気がします。そうなると、試合に向けて強いチームの対策しかしなくなってしまい、競技全体の底上げになりません。いろいろな大学が力をつけて上がってきて、良きライバルになれれば、大学ホッケー全体がもっと盛り上がると思うんです。今年、全日本大学王座決定戦で朝日大学が優勝したように、いろいろな大学がしのぎを削ればすごく盛り上がるでしょう」

そのためには競技人口を増やすことが重要だ。競技の裾野を広げるために、田中選手をはじめ、たくさんの選手が各地でホッケー教室などを開催しているが、そのなかで田中選手は2つの課題を見つけた。

「ひとつは僕らがホッケーを教えても、プレーできる環境がなければ辞めてしまうということ。実際、中学、高校と進学する中で、自宅近くではホッケーを続けられないからと転校する選手もいます。もっと気軽に多くの子どもたちにプレーしてもらうためには、多くの小・中学校にホッケー部を作ってもらうことが必要でしょう。ふたつめは、いかに多くの人にホッケーに触れてもらうかです。ホッケーが身近な地域、ホッケーをしている子を対象にスクールを開くというのは今までに経験があるんですけど、“ホッケーに触れたことがない地域で教える”という経験を今までしたことがないんです。ホッケーを全く知らない人たちに競技の魅力を伝えるようなイベントや教室を開くことができないか、そのためには何をしたらいいかを考えています。ホッケーの魅力はスピード感。ボールスピードだけでなく、攻守の切り替わりも早いですし、ロングシュートがないので、細かな攻防も多く、見どころや楽しさがたくさんあります。その面白さを多くの方に知ってもらいたいと思っています」

東京2020大会では、現地やテレビ放映を通じて、かつてないほど多くの人がホッケーの試合を観戦するだろう。そして、その面白さを知ればもっと競技を知りたくなるはずだ。

息をつかせぬスピード感、迫力のある攻防、白熱した試合……多くの人々を魅了する試合を東京で繰り広げるために、田中選手はプレイヤーとして指導者として、今日もホッケーに励んでいる。

田中健太(たなかけんた)
1988年滋賀県生まれ。天理高校、立命館大学のホッケー部で活躍し、卒業後は和歌山県庁スポーツ課に勤務するかたわら、箕島クラブで競技を続ける。その後、日本人で初めて世界最高峰のホッケーオランダ1部リーグ(HGC)に所属し、フォワードとしてプレー。2018年アジア競技大会では、チームの大黒柱として、日本を初優勝に導いた。

Photo:Tetsuya Fujimaki
TEXT:Junko Hayashida(MO'O)